旅のレポート「美味ららら紀行」

古代の海と人が生んだ「旨味の原点」~いちまるが挑む“古代かつぶし”再現の旅~

冬のやわらかな日差しが差し込む焼津港。
焼津は古くから日本有数の鰹の産地として知られ、江戸時代から“焼津の鰹節”として全国に名を轟かせた土地だ。
潮の香りと、近くの加工場から漂う鰹の香ばしさが混ざり合い、この土地が古くから“鰹のまち”として歩んできた歴史を静かに語りかけてくる。

「鰹という魚は、日本人にとって“特別な魚”だったようなんです。」

そう語るのは、焼津の老舗水産会社・いちまるで古代かつぶしの再現に挑む本多さん。

神社建築に見られる“鰹木(かつおぎ)”の話をしてくれた。
今では神社の意匠として知られる鰹木だが、日本書紀にはそれを巡る神話も残されている。
富や権力を象徴する存在として登場するほど、鰹は古代人にとって特別な意味を持っていたのだという。

プロジェクトの始まり―“古代の献上品を再現”

今から15年前の2010年、奈良に都が遷されて1300年を記念する「平城遷都1300年祭」が開催された。その関連事業として、焼津鰹節の歴史や伝統を改めて見つめ直そうと、焼津鰹節水産加工業協同組合を中心に、地域の産学官金が連携した「古代の献上品を再現する」企画が立ち上がった。静岡県水産・海洋技術研究所や焼津の鰹節メーカーが “煮堅魚(にかたうお)”の再現実験に携わった。

「最初は“面白そうだな”という軽い気持ちでした。でも、調べてみると古代の保存技術は現代の常識では想像できないほど合理的で、無駄がなかったのではと思うようになったんです。」

「株式会社いちまる」常務取締役 本多真さん

このときの取り組みは、イベントをきっかけとした一過性のものにとどまったが、その経験を通じて、「この知見を、このまま終わらせてよいのか」という思いが残ったという。

ちょうどその頃、大学の研究チームがカツオを中心に古代食の研究を進めており、研究者と意見交換を行う機会が生まれた。
対話を重ねるなかで、文献だけでなく“実際に作り、検証すること”の重要性を再認識し、いちまるとして改めてカツオ加工品の再現に取り組む決断をした。

古代の製法は文献の情報が断片的で、想像に頼らざるを得ない部分も多い。
しかし本多さんは、料理史・考古学・発酵学などの研究者と協働しながら、当時の人々が“実際に行えた方法”を、検証を重ねて組み立てていった。
こうした試行錯誤の積み重ねこそが、現在の「古代かつぶし」再現へとつながる原点となっている。

「静岡のかつお文化は、近代の削り節だけじゃないんだ。もっと深い、古代から続く長い歴史がある——そう気づいた瞬間でした。」

古代の献上行列を再現した様子(写真提供・左:焼津市役所/右:(株)いちまる)

文献と土器から読み解く古代の“鰹加工”

古代かつぶしの再現とは、単なる料理研究ではない。
考古資料、古文書、出土土器、そして焼津の風土をひとつずつ読み解きながら“実験”を重ねる、地道で壮大な作業である。

本多さんは、奈良時代の土器のレプリカを作ろうと、古代かつぶしに詳しい複数の学芸員に相談を重ねた。
その知見をもとに、古代の土器を研究していた陶芸家に依頼し、煮炊き用の土器を制作。
さらに専門家の協力を得て、藤枝・瀬戸川上流の土を用い、かつて煮汁を入れていたとされる土器の再現にも取り組んだ。

カツオを煮たとされている土器のレプリカ(左)
壺G(右上)・土錘(右下)のレプリカ(レプリカ 志太郡衙資料館)

「文章だけではわからないことばかりなので、全部やってみる。“想像ではなく検証”なんです。」と本多さんは語る。

古代人がどのように塩分を調整し、どう煮て、どのように干していたのか――その実態は誰も知らない。

だからこそ本多さんは、文献や土器、出土資料を丹念に読み込み、専門家の話を聞き、そこで得た仮説を一つひとつ実験しながら確かめていった。

火に耐えるための土器の厚みや形状、沸騰しても煮汁がこぼれない縁の高さ、熱湯から魚を引き上げるための道具の存在、広い浜で大量生産したと考えられる加工体制――。そのすべてを資料と照合しながら、実際に手を動かして再現していく。

「木簡には、年間に何千尾分もの鰹加工品を収めた記録が残っています。釣りだけでは追いつきませんから、鰹が寄ってくる周期をとらえ、一気に“工業的”な規模で加工したはずなんです。」

土器と海水と薪だけを使い、古代の環境に近い条件で加工を試みる。
その地道な積み重ねが、1300年前の風景を少しずつ立ち上がらせていった。

本多さんが再現の基礎資料として読み込んだ地域史・考古文献。古代の鰹加工を探る重要な手がかりとなった。

古代の知恵を“手”で確かめる―現場で積み上げた検証の軌跡

古代式かつぶしの基本は「海水で煮て干す」。
シンプルに聞こえるが、実際に行うと驚くほど難しい。

まず、切った鰹を大きな土器に入れ、海水で煮込む。海水の塩分は保存性を高め、腐敗を防ぐための必須要素だ。冷蔵庫がない古代においては、とりわけ重要な技術だった。

煮上げた鰹を天日に干す工程が、最も古代的であり最も難しい。
本多さんは日々、天候と海風を読みながら、外に干した鰹をじっと見守り続けた。砂の温度が52度まで上がる日もあり、カラスとの攻防にも悩まされたという。

デスクを屋外に移し社員から「今日も干してますね…」と笑われながらも、検証を重ねた。

こうして完成するのが“煮堅魚(にかたうお)”である。

風と日差し、干す角度、湿度――その微妙な差が味と保存性を左右する。人工乾燥では決して再現できない“揺らぎ”こそ、古代式の真価なのだ。

天日干しによる古代式かつぶしの再現。(左:干しはじめ/右:乾燥が進んだ状態)。風や日差しにさらされるほど色が変化し、旨味が凝縮していく。(写真提供・(株)いちまる)

一方で、未だ全貌が明らかになっていないのが“堅魚煎汁(かつおいろり)”である。
鰹を煮た際の煮汁をさらに煮詰め、3.5%の塩分を15%ほどまで高めて保存性を確保した調味料。

醤(ひしお)のようなもので、塩・酒・酢と並ぶ調味料として、また羹(あつもの/スープのようなもの)に用いられていたのではないかと考えられている。

「宮廷料理で使われていたことを考えると、鰹のカスが混じった泥状のものではなかったはず。麻などで濾して、サラッとした液体だったのではないかと思っています。」

壺の形状や輸送方法を踏まえた本多さんの仮説だ。
形状は現在も研究途上ではあるが、そこにこそ“古代を解き明かす面白さ”がある。

堅魚煎汁を収めたとされる壺(レプリカ)を手に、古代の姿を語る本多さん

“古代の味”は現代の料理をどう変えるか

研究の積み重ねによって生まれた「古代式かつぶし」。
商品化されたものを実際に味わってみると、その違いは明らかだった。

古代の製法で再現された“古代式かつぶし”。 魚本来の旨味が凝縮した、素朴で力強い味わい(写真提供・(株)いちまる)

「古代かつぶしは煙で燻さないので、現代の鰹節のようなスモーキーさがありません。純粋に魚の旨味だけが残るんです。」

袋を開けた瞬間にふわりと広がる鰹の香り。
口に含むと、塩味と魚の旨味がまっすぐに立ち上がり、燻香がないからこその透明感がある。派手な味ではない。けれどなんともいえない深い余韻が続き、素材からのメッセージがそのまま届くような味わいだ。

再現までの道のり、歴史を知っていただくと、より一層深い味わいに感じられるのかもしれない。

「荒節が合う料理があるように、燻香が不要な料理もあります。古代かつぶしは素材の味を生かす料理との相性がとても良いんです。」

現代の料理人たちが、この“古代の旨味”をどう料理に活かすのか――そこに新しい可能性が広がっている。

古代式かつぶしの活用例。ご飯やおひたしなど、素材の味を引き立てる料理によく合う(写真提供・(株)いちまる)

歴史・地質・家紋…「焼津という土地」そのものが語り出す

取材中、本多さんの話題は“食”だけに留まらない。

地質学、鉄の生産、さらには自身の家紋の話まで飛び出す。
焼津という土地の成り立ち、土器に使われた土、火を扱う文化――。
すべてが“古代かつぶし”につながっているのだ。

「焼津には“焼”の字があるでしょう。昔から火と深く関わる土地だった可能性があるんですよ。」

古代の鰹節づくりに必要な“火”と“土”と“海”。
それらが揃った地域だからこそ、古代の鰹加工文化は発展した。

藤枝、焼津、伊豆――。

それぞれの地域から出土した土器が示すのは、広い範囲で鰹加工が行われていたという事実だ。
本多さんの語りを聞いていると、まるで古代の海辺が目の前に広がってくるようだった。

古代かつぶしの未来――食文化は“再発見”の時代へ

古代かつぶしは単なる復元品ではなく、静岡が持つ新たな文化資源である。
万葉食イベントや資料館との連携、飲食店での活用、体験型講座など、可能性は大きく広がる。

量産が難しいため購入できる場所は限られているが、将来的にはより扱いやすい形での加工や体制の整備も視野に入れているという。
現在はオンラインショップといちまるマルシェのみで販売。

ただし本多さんは言う。
「まずは、こういうものが静岡で作られていると知ってほしい。それが第一歩です。通販や店頭だけじゃなく、“語れる場所”が必要なんです。背景を理解したうえで手に取ってもらいたい。」

歴史とともに味わうことで、古代かつぶしははじめて“本来の価値”を持つのだ。
焼津発・いちまるの挑戦は、 私たちに“味わうとは何か”という問いを改めて投げかけている。

現代の料理人が“古代の味”をどのように表現するのか。
そしてそれを口にした人たちが、その味からどんな歴史を感じ取るのか。 古代かつぶしは、単なる商品ではなく「食べることで歴史と対話する」ための媒体として、静かに新たな可能性をひらいている。

実際に商品化された「古代式かつぶし(帯削り/ふりかけ) 」。オンラインショップ〈いちまるマルシェ〉限定で販売されている

おわりに

「古代の食は、想像じゃなく“検証”なんです。」

本多さんの言葉は、このプロジェクトの本質を端的に表している。

たしかに古代かつぶしの再現には、情熱、知識、実験精神、そして地域の歴史への敬意が込められていた。鰹節の源流にある“失われた味”を追い求める旅は、焼津という土地に刻まれた文化の記憶を静かに呼び起こす。「古代かつぶし」の説明を聞いてから一片を口にすれば、千年以上前の海風と、古代人の営みがふっと目に浮かぶ気がする。

それは、時を超えて食文化を感じる特別な体験だ。
さかなの町「焼津」へ訪れる人たちにこそ、この物語を知ってほしい。
古代かつぶしの背景には、鰹だけでなく、マグロやサバ、イワシ・・・さまざまな海の資源とともに生きてきた人々の知恵と、海と向き合ってきた長い歴史がある。

港に吹く風、加工場に残る薫香、街に息づく漁の文化。
これらはすべて、この土地で海とともに暮らしてきた人々の記憶そのものだ。
古代かつぶしを知ったうえで焼津を歩けば、まちの風景がまるで違って見えてくる。

店先に並ぶ魚、港で働く人々、食卓にのぼる一切れの刺身――それぞれの背景に、1300年を超えて受け継がれてきた“海と人の営み”が鮮やかに浮かび上がる。

焼津を訪れる旅が、単なる「食べ歩き」ではなく、
“海の文化を辿るガストロノミーの旅”として深まっていく。
古代かつぶしは、その入口となる小さな鍵なのかもしれない。

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株式会社いちまる

〒425-0021
静岡県焼津市中港二丁目5番13号
TEL:054-628-2141

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いちまる 食品工場(いちまるマルシェ)

〒425-0012
静岡県焼津市浜当目1-3-23
TEL:054-628-4115

https://yaizu-amimoto.jp

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取材日:2025年12月4日

ライター:大村 昌子

写真:小南 善彦

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