旅のレポート「美味ららら紀行」

伝承と継承、受け継がれる祈りの料理~下田・白浜のさんま寿司~

伝承と継承。辞書でその違いを調べると、「伝承」とは古くからの(制度・風習・信仰・言い伝えなどの)しきたりを、受け継いで伝えて行くこと。また、その伝えられた事柄。そして「継承」は、何かを引き継ぐこと、特に財産、権利、義務、文化や伝統などを次の世代や他の人に受け継ぐこと。

つまり伝承は「伝え聞く」「語り継ぐ」ニュアンスが強く、「継承(けいしょう) 」は技術・財産・地位・組織等、カタチのあるものや、具体的な役割を後世に「受け継ぐ」「引き継ぐ」ことのようです。
今回、ご紹介する下田・白浜地区に伝わるさんま寿司は、まさに伝承と継承、二つの面を兼ね備えた郷土料理と言えるでしょう。その歴史と美味しさに触れる旅に、みなさまをご案内します。

白い砂浜は火山の贈り物!?

切り立った断崖の上を走る国道135号線を南へ。

冬のはじまりの空は澄み切って美しく、深い藍色の海は、時折岩礁にぶつかり波しぶきをあげています。晴れた日には、思いのほか近くに見える伊豆大島。少し遠くに見える三角の影は利島でしょうか。美しい景色に目を奪われないよう気をつけながら、慎重に右へ左へとハンドルを切って道を進めると、はるか先に見えてくるのは、真っ白な砂浜。何度もこのルートを走っていますが、その美しさには毎回、「うわぁ、キレイ!」と感嘆の声を上げてしまいます。

エメラルドグリーンの海はグラデーションとなり息をのむほど美しく、晴れた日には伊豆大島等、伊豆七島の島々も見える。

下田市の白浜海岸は、真っ白な砂浜とエメラルドグリーンの海が広がる日本屈指の海水浴場。サーフィンのメッカとしても知られ、毎年大きな大会も開催されています。

貝殻等の化石も発見されることがあるという白い崖は、この地が半島になる前(=海底火山時代)に海底に降り積もった火山灰や軽石の地層。思わず息をのむほどに美しい白砂の海岸線は、約1000万年~200万年前にも遡る、火山からの贈り物なのです。

この白浜海岸から2キロほど北に戻った板戸一色地区にあるのが「アロエの里」。500mほどの遊歩道に約2万株のアロエが群生しており、11月中旬から2月にかけて、アロエの花が見ごろを迎えます。

南国を思わせる真っ赤な花を咲かせるのはキダチアロエという品種。明治時代後半、白浜の漁師さんが南の島から持ち帰り、それが徐々に増えていったものだと言われています。昔からこの地が温暖な気候だったのかが分かりますね。

白浜海岸の白い砂も、真っ赤なアロエも、時を超えて海の向こうから届いた贈り物なのです。

ちなみに、このアロエ。「医者いらず」とも呼ばれ、胃の不調や火傷、切り傷等に効くとされ、万能薬草として親しまれています。そういえば、我が家でも昔は庭先に植えられていました。こどもの頃、二日酔いの父に「アロエの葉をとってきてくれ」と頼まれたのも懐かしい思い出です。

もちろんこの地域でも、あちこちの民家の軒先にアロエが植えられ、自然の救急箱として重宝されてきました。

今年は開花が遅かったので、1月末頃までは花を楽しめそうとのこと。

アロエの里では、開花にあわせ「アロエの花まつり」を開催しています。今年は2026年1月4日(日)まで。期間中は、臨時で売店もオープンしていて、アロエ製品等地場産品の販売やアロエ茶のサービスも行っています。

アロエの花が咲く遊歩道からも見える島は、竜宮島。この島、干潮時には渡ることができるそうです。白嶋神社が祀られており赤い鳥居が見えました。おそらく地元の方でしょう、散歩中の女性が島に向かって手を合わせ祈っている姿が印象的でした。

「ここから見ると、“亀”に見えるんですよ」と売店の女性に教えてもらい改めて眺めると、確かに亀!!

これは、ご長寿等の縁起の良いご利益がありそうですね。 でも、このエリア、普段は地域の漁協が管理していて一般の車両は立ち入り禁止。国道から遊歩道を歩いてくるルートもありますが、アロエの花まつりの期間だけは駐車場も開放されているので、車で来てこうして間近に見られるのは期間限定なのだそう。花が咲いたアロエの群生も初めて見ましたし、とても貴重な体験ができました。

角度によって「亀」に見える竜宮島。アロエの花まつり期間中は売店も営業。

売店前に「さんま寿司」の青い幟が風にはためいていました。今回の旅のお目当てのさんま寿司は、アロエの花まつり期間中は、こちらの売店でも購入可能です。お店の方によると、週末は早々に売り切れちゃうこともあるという人気の名物・さんま寿司。いよいよ、この味を継承している方々の元へ向かいます。

惜しまない手間ひまと食べる人への思いやり

「さんま寿司は、白浜ではお祭りやお祝い事の席に欠かせないお料理です。本来は、各家庭それぞれの味があるんです。」

お話しを伺ったのは、さんま寿司のレシピを守り伝えている「白浜民宿研究会」の方々。みなさん、白浜地区で民宿やペンションを営んでいる女将さんたちです。こどもの頃から作るお手伝いをしていた方もいれば、お嫁に来て初めてさんま寿司を食べ、そこから嫁ぎ先の味を覚えたという方もいます。

(左から)「民宿南風」の藤井さん、「喜恵門荘」の長谷川さん、「ペンションAIUEO」の中田さん。

それぞれの家庭の味も魅力的ですが、イベントで販売したり各お宿で出されたりする時に、味にばらつきが出ないようにと、20年ほど前に研究会でレシピを統一することにしたそうです。

現在、研究会に参加しているメンバーは10名。そのうち、さんま寿司を作っているのは5名。

先ほど訪れたアロエの花まつりの売店や、白浜海岸の駐車場にある観光協会で、週末を中心に販売しているのですが、普段は5名のメンバーが持ち回りで作っています。完成まで3日間もかかると聞いてビックリ。作り手の手間ひまと時間がその美味しさを醸し出すんですね。

さらに、さんま寿司に適しているのは、あまり脂が乗りすぎていないものだというのも予想に反していました。

「脂が乗り過ぎていると、味がなじみにくいですし、日持ちもしないんです。何より、表面の皮がはがれやすくなるので、見栄えも悪くなりますしね。」

そうお話しくださったのは、「ペンションAIUEO」の中田さん。

さんまは脂の乗りだけじゃなく、サイズも大事。押し寿司のサイズがあるので、大きすぎるのも小さすぎるのもダメなんだそう。この数年はさんまが不漁というニュースが多かったですから、さぞやご苦労があったことでしょう。

「今年はさんまが豊漁で、いい状態のものが手に入るからありがたいです。身が薄いと、骨を抜く時に身がボロボロになっちゃうので。」

と「民宿南風」の藤井さん。

2日目の行程、酢漬けを終えたさんま。丁寧な作業の賜物で、皮が破れることなくキラキラと美しい!

早速ですが、3日かけて作るという作業の一部を見せてもらいました。

まず1日日。さんまの頭を落とし、背開きにして中骨を取り内臓をスプーンでキレイに取り除いてから洗います。

「1日、60匹のさんまを開いて、内臓をとるのは大変ですねぇ」と私がつぶやくと、みなさん口を揃えて
「開くのは慣れてしまえばそんなに大変じゃないです。みんな60本を1時間くらいで開けますよ。」とのこと。

「大変なのはこの後の骨をとる作業です。さんまは小骨も多いし骨も細いのですが、それを骨抜きで1本1本外すんです。少しでも骨が残っているとお客様が召し上がった時に口に残ってしまうので、作業は丁寧に。手間ひまを惜しまずやっています。」

そう、口々におっしゃっていました。

なるほど、美味しさの追求とお客様のことを思っての丁寧な作業なのですね。

その後、多めに塩をふり、塩漬けに。塩に漬けるのは12時間。夜のうちに作業して、ひと晩寝かせます。

翌日は塩出しからスタート。さんまの塩を落とした後は、みなさんが口を揃えて「大変だ」という骨抜きの作業。お腹の部分の小骨を骨抜きでキレイに取りながら、30分ほど塩出しします。時間との勝負ですが、小骨を残さないように丁寧に作業されるとのことです。

次は、酢漬け。さんまの大きさや脂の乗りによって変えてはいますが、だいたい8時間くらい漬け込むのですが、数時間おきに表、裏を返す必要があります。

「8時間漬けっぱなしではないから、出かけることもなかなかできません。毎回、時間を逆算して作業します。」

「喜恵門荘」の長谷川さんの言葉に、中田さんも藤井さんも大きくうなずかれていました。

裏返すことを何度か繰り返して8時間後、酢から上げ、今度はさんまの両面に砂糖をまぶします。これも時々返しながら、砂糖が溶けるまで8時間。甘酢ではなくて、酢と砂糖とを別々に漬け込むのですね?

 「レシピを決める時に、甘酢に漬けることも含め、いろいろ試しました。でも、別々になじませるこのやり方の方がまろやかな味になるんです。これが白浜流です。」

と中田さん。ここにも白浜のさんま寿司ならではの、手間ひまを惜しまない工夫がありました。

砂糖漬けの時間を見計らって酢飯作り。熱々のごはんにすし酢を混ぜ合わせます。お米もいろいろ試した結果、いまは、山形のつや姫というブランド米を使っているそう。本当は地元のお米が理想ですが、山形産のつや姫は、炊き立てはもちろんですが、冷めても美味しく酢飯にした時の塩梅がさんま寿司にピッタリなんだそう。

2日かけて仕込んださんまと、さんまの形にあわせ、ふわっとまとめられた酢飯。

8時間後、さんま寿司も、いよいよ最後の工程へ。

砂糖漬けが終わったさんまに酢飯を乗せて、背を上にして形を整え、薄切りの生姜(さっと茹でてから酢と隠し味に砂糖も加えたもの)を乗せます。

この酢飯、さんまの形に合わせ、半分に切ったラグビーボールのように形作られていましたが、意外とふわっとした握り方でした。中田さんが実演してくださいましたが、手際よく作業しつつも、その手つきはとても繊細。

酢飯を崩さないようにそっと持ち上げると、サッとさんまの上に乗せて、しっぽを巻き込んでから、ひっくり返してキュッキュッと全体をなじませるように軽く握っている感じ。

(上)さんまの上に酢飯を乗せ、(中上)そっとひっくり返して形を整え、(中右)生姜を乗せて
(左下)2キロの重しを乗せてまた8時間ほど置く。(右下)3日かけて完成するさんま寿司。

この時点で酢飯をギュッと握ってしまうと、押し寿司にした時に酢飯が硬くなってしまうからでしょうか。何から何まで、食べる人のことを思って作られているのだなぁと感心するばかりです。

これで完成!ではなく、作業はまだ続きます。押し寿司用の木箱にさんま寿司を詰め、重しをして8時間。

そして3日目。

ひと晩押したさんま寿司を木箱から取り出し、8切れに切ってパックに詰めて、ようやく、本当にようやくの完成です。女将さんたちの惜しみない手間ひまと食べる人への愛情が込められたさんま寿司。早速いただきます!

進化しているさんま寿司

酢飯とさんま、生姜の一体感にまず驚きました。押し寿司って、鯖でいただくことが多いですが、鯖だと身が厚す

ぎてかみ切れなかったり、身とごはんがバラバラになってしまったりすることがあるように思います。でも、さんまのほど良い身の厚みのおかげか、サクッとかみ切れました。

そして、口の中でほどける絶妙な硬さの酢飯。先ほど見せていただいた、酢飯のあの柔らかな握り方がここで活きてきます。

咀嚼すると、まず感じたのは脂が乗り切っていないさんまだからこその、しつこすぎないうま味。そして、酸味と塩味、甘味のバランスも、これまた絶妙。お醤油の要らない、ちょうどいい塩梅の塩加減です。

上に乗った生姜がピリッとアクセントにもなって、これはお箸が止まりません。

一切れの大きさも鯖寿司のように大きすぎないのも食べやすい!

3日もかけて完成した〆さんま寿司。

「年配の方は、昔ながらの伝統的なさんま寿司が良いって方も多いですが、若い方やお子様には新商品も人気です。こちらもぜひ召し上がってみて!」

と勧められたのは、炙りさんま寿司。

鯖寿司等も“炙り”寿司がブームになっていたので、研究会のみなさんでさんま寿司への応用を試みたそうです。

新しく開発した炙りさんま寿司は、若い方やお子さんに人気。

こちらは、押し寿司にした後、バーナーで表面を炙って仕上げるそう。その際、通常の作り方だと生姜も焼けてしまうので、酢飯とさんまの間に生姜を忍ばせてあります。

これがまた美味しい!

炙ったことで、魚の生臭さ(お寿司も魚も大好きな私はほとんど気になりませんでしたが)が消え、香ばしい香りも加わって食欲をそそります。酢飯と一体になった生姜がこれまたいい仕事をしていて、食べ飽きない美味しさ。これなら魚臭さが苦手な方やお子さんでも食べやすそうですね。

女将さんたちの民宿でも、シーズンならさんま寿司はふるまわれるそうだが、確実に食べたい場合には、予約がオススメ。

「どちらがお好きですか?」

私の食べっぷりを笑顔で見守ってくれていた藤井さんに尋ねられましたが、う~ん、困った!どっちも好きです!

それぞれ単品で販売していますが、食べ比べの2本セットもあるそうです。間違いなく、私は2本セットを買いますね(笑)。

そういえば、最初に塩漬けをする時の塩の量も昔と今では違うそう。昔は保存食としての意味合いも強かったので、塩をかなり効かせていました。だから、完成したさんま寿司ももっと硬かくて、いまの口の中でほろっとほどけるような食感では無かったそうなのです。

伝統を守りながらも、時代の変化、嗜好の変化に合わせて、さんま寿司も進化しています。それもまた食文化の継承の形だと思います。

実は私、さんま寿司を食べるのは初めてではありません。1度目はこどもの頃、家族で訪れた紀伊半島への旅行の時。和歌山県で食べました。2度目は、学生時代、私の運転で出かけた母や祖母と一緒の下田旅行でした。

国道沿いのドライブインにさんま寿司の文字を見つけた母が「昔、和歌山で食べたよね。」と寄り道を提案。この後すぐに、ホテルでの夕ごはんが待っているのにと思いながら食べました。母や祖母、伯母や従妹たちと分け合って食べたさんま寿司の味は、正直もう覚えていなかったのですが、思い出は鮮明です。

その時の旅行から数年後には、祖母も母も亡くなってしまい、そのお店も残念ながら今はありません。でもその場所を通る度に、母の朗らかな笑顔を思い出すのです。

取材の合間、そんなさんま寿司の思い出を話すと

「食の力って大きいなぁって思うんです。食べたもの、食べたことの思い出って、残りますよね。目で見て、香りを感じて、食べて、それが記憶として残る。このさんま寿司の味の記憶をきっかけに、白浜の海とか、白濱神社とか、訪れた場所を思い出すきっかけになってくれるといいなぁって思っています。」

と藤井さん。

さんま寿司だけじゃなく伊勢海老のお味噌汁や手作りの干し柿等でおもてなししてくださったペンションAIUEOの中田さん(中央)。

民宿やペンションを営んでいらっしゃるみなさんは、訪れた方々の人生の思い出、その1ページを担っている大事なお仕事ですよね。

「毎年、秋の終わりから作り始めるさんま寿司を楽しみに来てくれるお客様もいます。つい最近も“今年は行けないから送って”って頼まれて送りましたよ。」

と中田さんもお客様とのエピソードを話してくれました。

きっとお客様にとってもお宿で過ごす時間とともに、この季節ならではの思い出の味として、さんま寿司が欠かせないものになっているのでしょう。

伝承と継承、受け継がれてきた郷土の味

白浜ではお祭りの時やお祝い事の時に食べる郷土の味、さんま寿司ですが、その歴史はなんと室町時代まで遡ります。

「室町時代、うち続く凶作に心を痛めた白浜神社の神官が、伊豆七島の神々に祈ったところ、ほどなく無数のさんまが浜に打ち寄せたという。神官は米飯の上にさんまを乗せ、人々に振る舞い、以来、秋の例大祭にはさんまの炊き込みご飯をご馳走する習わしとなった。」

その由来が下田市観光協会のホームページにも掲載されています。

元々は炊き込みご飯だったものが、現在のようなさんま寿司になったのは、幕末の頃のこと。

「資料には河内とありますが、下田市の高馬(たこうま)って場所に反射炉があったんですよ。いまもバス停の名前として“反射炉跡”が遺っています。幕末にペリーさんが下田に来て、街の中を散策して反射炉が見つかったらいけないってことで、韮山に移すことになったんですって。」

下田市蓮台寺ご出身の中田さんが観光協会の資料を元に話してくれました。

その時、移送に携わる大勢の人夫の食糧として、さんまの炊き込みごはんをヒントにさんまむすびを作ったものの、それが酸味を帯びて、えもいわれぬ風味を醸したことから、以後、味つけに甘酢を使うようになり、関西風の押し寿司風さんま寿司に発展したと伝わっているとのこと。

「下田でもさんま寿司が出されることもありますが、普通にさんまが乗っているだけ。押し寿司のスタイルは、白浜地区だけに伝わっている伝統的な製法です。」

とみなさん、口々におっしゃっていました。

言い伝えに出てくる「伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)神社(通称:白濱神社)」の原 嘉孝宮司にもお話を伺いました。残念ながら、文献として残っているものは無いそうです。

「でも、こうして民間伝承という形で伝えられてきたのであれば、そういうこともあったのかもしれません」

とのこと。神社では現在も毎年10月に行われている例大祭に際し、さんま寿司が奉納され、来賓の方々にもふるまっているそうです。

「昔は年に1回のお祭りの際に、特別なご馳走として神様に差し上げて、そのおさがりをいただくのが、人々にとっては、楽しみなご馳走だったのだと思います。来賓の皆様にもお土産にさせていただきますが、毎年、大好評ですよ。」

そうお話してくださいました。

民間伝承という形であれ、白濱神社の名前が感謝の想いと共に語り継がれてきたのは、神社がこの地の人々の信仰の対象であり、心の拠り所であったからではないでしょうか。 さんま寿司ともゆかりが深く、地元の方の信仰を集めている「伊古奈比咩命神社」、通称白濱神社を参拝してこの旅を終えましょう。

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「さんま寿司」販売場所/お問合せ先


伊豆白浜観光協会

〒415-0012
静岡県下田市白浜2745-1
TEL:0558-22-5240
https://www.izu-shirahama.jp/

※さんま寿司の販売は、例年11月初旬から5月ゴールデンウィークの頃まで

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伝承の地、伊豆ノ国 最古の宮へ

「伊古奈比咩命神社」(以後、通称の白濱神社とします)は、2,400 年の歴史を持つ伊豆最古の神社。ご由緒によると、ご祭神である伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)を後に后として迎える三島大明神(みしまだいみょうじん)は、南方から海を渡ってこの伊豆の地にやってきたと言われています。だから、参拝はまず白浜の青い海と空を背景に岩壁に立つ、真紅の海岸鳥居から。ここで南の島々の神様を遥拝します。鳥居の立つ岩場からは太平洋を見渡すことができ、晴れた日には伊豆諸島の島々までもはっきりと目にすることができます。晴天のこの日、この海の向こうから神様がやってきたことがすんなりと信じられるような神々しい景色が待っていました。

海岸鳥居参拝後は、一度国道135号線に出て、たいこ橋を渡って境内へ。

手水舎の近く、ひと際存在感を放つ巨大な2本のご神木に目が留まります。右手に立つのは、1,000年生き、枯れた後も1,300年自立し続けている白龍のご神木。左は薬師の柏槇(びゃくしん)。三嶋大明神の本地仏・薬師如来の御利益を授けると言われる御神木です。中には祠があって薬師如来像が祀られているので、木の裂け目から中を覗いてお詣りしてみてください。

境内正面の拝殿に参拝後、そこで帰ってしまう方が多いのですが、ぜひ訪れて欲しいのが左手の階段を登った先にある本殿です。国指定の天然記念物である青桐の森の中、階段を一歩一歩進む度に空気がどんどん濃密になっていくように感じます。

「ご本殿 神域」の立て札に、一層気が引き締まる。
厳かな雰囲気に包まれたご本殿。おのずと心静かに手を合わせたくなる。

もう何度目かの訪問になりますが、それまでにぎやかにしゃべりながら階段を登ってきた人も、本殿に近づくにつれ、おしゃべりが止み、静かに手を合わせてお詣りをしていく姿を何度も見かけました。自然とおしゃべりを控えてしまうほど、神秘的で厳かな空気に満ちているのです。

「白濱神社」は、この土地の歴史と文化、そして人々の営みを見守り続けてきた祈りの地。

ぜひ、郷土の味、さんま寿司にも想いを馳せながら、訪れてみてください。

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伊古奈比咩命神社(白濱神社)

〒415-0012
静岡県下田市白浜2740番地

TEL:0558-22-1183
https://ikonahime.jp/

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取材日:2025年12月11日

ライター:ごはんつぶLabo アオキリカ
写真:生駒歓子

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