ふじのくに地球環境史ミュージアム館長 佐藤洋一郎
伊豆半島はそのむかし洋上に浮かぶ島だった。それが北に動いて100万年ほど前に本州にぶつかり、半島になった。「ひょっこりひょうたん島」のような話だが、これは本当のことらしい。移動速度は年4㎝程度。人の寿命を80年とすれば一生の間に3メートルばかり動いていることになる。本州と地続きになってしばらくして天城山や達磨山などが噴火した。あまり知られていないことだが、伊豆半島には主な火山は13座もある。これには、あの容姿端麗で知られる大室山は含まれないから、半島が火山だらけという表現はぴったりである。それからしばらくして箱根山や愛鷹山、富士山という大きな火山が、本州側に生まれた。富士山がほぼ今の形になったのは1万数千年前、そして箱根山とともにいまも活動を続けている。
伊豆を旅してみて気づくことがある。これらの山やまはどれも、内陸側はなだらかなのに、海側は山体が削り取られ高い崖が海に面してそそり立っていることだ。だからその海岸はほぼ全体にわたって複雑なリアス式海岸のような地形になっている。小さな湾が海沿いにはたくさんあり、そこには港を伴う小さな集落がある。もう10年以上も前、東海岸の、とある港のそばの寿司屋の主人に聞いたことがある。港には、地の魚がその日1匹だけ上がるようなことがある。知られた魚ではない。市場には出せない。でも、うまい魚だ。そんなのをもらってきて客に出すのだ、と。どんなに請われても、同じ種類の魚が明日も上がる保証はない。だからメニューには載らない。伊豆の魚食文化は、一期一会の地魚のそれである。
リアス式海岸のため、伊豆半島は交通の便が悪い。東海岸には熱海から鉄道が走るがそれも下田までで、しかもほとんどの区間で単線である。内陸にも鉄道はあるが、三島から修善寺までで、これも全線単線である。西海岸にはその鉄道もない。こうしたことから、海沿いの集落には地理的な隔離が働いて集落ごとに固有の文化が最近まで残っていた。こうした固有の文化を求め、また一期一会の魚を求めて、伊豆の海岸の港を遍路のように巡る旅をしてみたい。遍路といえば、伊豆には四国の八十八か所のような、半島を時計回りにめぐる修験の巡礼路があったともいわれる。その歴史などはまだ充分研究されてはいないようだが、その復活が俟たれる。加えて、伊豆半島は近代文学の回廊でもある。半島の海岸部のほぼ全周にわたって、また半島を南北に縦断する天城街道に沿って、無数の歌碑や句碑、詩碑などが立つ。
地魚が多いと書いたが、伊豆には東伊豆のキンメや西伊豆のカツオのようなブランドものもある。西伊豆町のカツオ食文化は、紀州や四国、鹿児島・枕崎あたりの食文化をほうふつとさせる。西伊豆は黒潮文化の影響を色濃く受けている。まずは「塩鰹」。「潮鰹」とも書く。カツオのはらわたを抜いて強い塩漬けにしたもので、正月に食べられる。はらわたは塩辛にされた。酒盗である。酒盗は高知にもあるし、また類似の食品として沖縄のワタガラスやスクガラスがあげられる。そしてカツオは、江戸時代以降、発酵食品でもある鰹節にも加工されていた。
伊豆半島最大の火山である天城山とその一帯は日本有数の多雨地域で年降水量はところにより4000㎜を超えている。そのゆるやかな北側斜面には溶岩地形が残り、大量の水が伏流水として谷を下って狩野川に流れ込んでいる。溶岩流が途切れたところでは大量の水があふれて滝ができた。浄蓮の滝、河津七滝(ななだる)などは有名だが、他にもいくつか巡ってみたい滝がある。伏流水の水温は年中一定で、この水を利用したワサビ栽培は江戸時代(18世紀中ごろ)に安倍川上流の有東木(うとうぎ)から持ち込まれたものといわれている。伊豆は、魚とワサビの両方がとれる、全国でも珍しい土地である。そして今では伊豆は全国有数のワサビ産地となり、2018年に世界農業遺産(GIAHS)にも登録された。
もっともワサビの利用はさらに古く、すでに鎌倉時代には禅宗寺院で精進料理に用いられていたようだ。修験の影響か、それともこの地に多い禅宗寺院の影響か、伊豆には精進料理の伝統がありそうだ。伊豆の国市奈古谷の国清寺(臨済宗)の国清汁(こくしょうじる)はこの寺が発祥だという。よく似た鎌倉・建仁寺のけんちん汁はしょうゆベースだが、国清汁は味噌で味をつける。どちらもあり合わせの野菜を使って作るというところに、環境への配慮が感じられる。伊東に本部のある料理人の団体「瑞松会」の猪爪康之会長にお願いして、精進の茶事を龍泉寺(曹洞宗)で開いてもらった。伊豆には茶懐石の伝統があり、身土不二の思想を背景に持ち、手元の食材を無駄なく使うことを旨としているといい、この日のメニューにもまさにその精神が生きていた。
伊豆半島のもう一つの宝が桜であろうか。伊豆半島から富士山にかけての地域は、さまざまなサクラの野生種が自生し、また1月から6月までの5か月近くにわたって花を愛でることができる。特に伊豆半島にはオオシマザクラやエドヒガンなどの野生種が自生し、花の時期には山肌に点在する様子が見て取れる。それらは互いに自然交配を繰り返しながら、たとえばカワヅザクラのような特異な品種群を生み出した。また西伊豆の松崎町はオオシマザクラの葉の塩漬けで有名で、全国7割以上のシェアを誇る。オオシマザクラの葉が大型で、また葉の羽毛が少なく食用に適するからといわれる。
寒天は、伊豆半島の磯で採れるテングサを主原料とする。テングサ採集は東伊豆の稲取で始まった。江戸時代には、採集されたテングサは下田に集められ、そこから大坂に運ばれて主に摂津の業者の手で加工され、京の都に運ばれた。寒天は、心太をフリーズドライの原理で脱水して作るので、夜は寒く昼間は晴天に恵まれる土地が産地として選ばれてきた。温暖化のためか、いまでは寒天の主産地は岐阜や長野に移ったが、摂津の寒天つくりの伝統は丹波の亀岡に今も残っている。
テングサの産地が西伊豆に移ったのは大正時代。寒天が産業的にも注目を集めるようになると、それを本業とする漁業者も登場する。テングサは、海女などの手で採集されると陸揚げされ、西伊豆海岸の急峻な崖から流れ出る川や湧水のきれいな水で洗われる。ここでも、水が登場する。東伊豆のテングサは今ではずいぶん衰退したが、皮肉にもそれは鉄道の開通によって観光にスポットが当たったからだという説もある。皮肉というよりほかない。