全国各地で開かれる鑑評会で数多くの賞を受賞している静岡の地酒。静岡には27の蔵元があり、「吟醸王国・静岡」とも言われ、全国的にも高い評価を得ています。「静岡は水がおいしくて、自然豊かだから酒造りが盛ん」という認識があるかもしれません。もちろん、それもありますが、実は「静岡酵母」という静岡での酒造りに適した酵母が開発されたこと、そして、酒造りにおける蔵元のたゆまぬ努力によって、現在の地位を得たのです。
日本酒造りの歴史的背景。静岡の地酒はメジャーではなかった!?
酒造りにおいて必要なのは、良質な水、酵母、そしてそれに適した酒米があること。酒造りは発酵工程の温度管理がとても重要で、温度コントロールしやすい冬に行われます。雪国の方が酒造りが盛んと云われる所以です。
静岡県の場合は、旧東海道に沿う形で造り酒屋が多くありました。冬の間、漁に出られない漁師たちが、その期間だけの稼ぎとして酒造りをしていたようです。とはいえ、温暖な気候で知られる静岡。酒造りにおいては実は条件的には不利な土地でした。杜氏(とうじ)は、雪国から来ることが多く、そんな寒い地域と同じ造り方をしても、おいしい日本酒は生まれない。そんな中で、いかにおいしくて良いお酒を造るか。厳しい中での酒造りを行ってきた静岡の蔵元たちは、同じ志を持ち、「静岡の地酒を知ってもらうためには、まずは賞を受賞しよう」と考えたといいます。1986年(昭和61年)、全国新酒鑑評会で金賞10社、銀賞(入賞)7社が受賞。当時、静岡にあった蔵元の約半数が受賞したわけですから、たいへんな快挙です。
その功績を語る上で外せないのが、静岡県沼津工業技術センターの河村伝兵衛さんでした。河村さんは、「静岡酵母」を開発し、静岡の環境に合った日本酒造りの指導と普及に尽力した方です。この静岡酵母により、他県に引けを取らない日本酒造りができるようになったのです。河村さんの指導のもと、各蔵元と杜氏たちはおいしい日本酒造りへの努力を惜しみませんでした。技術と努力があったからこそ、静岡の地酒はおいしくなったのです。
日本酒業界の基準を変えていった「静岡酵母」を使った酒造り。
以前、鑑評会で高く評価されたのは、口元に杯を運んだ際、ぶわっと香りが舞い上がるような香り高いお酒でした。それに対して、静岡のお酒は香りは少なめで辛口のタイプ。ふわっとした香りで、酸が少ないために甘さを感じるお酒です。静岡の宝である海の幸、山の幸といったおいしい食材と組み合わせると、よりおいしく感じるように造られているのです。料理をよりおいしくするお酒なので、いつの間にか杯が空いている。そんな食中酒なのです。
近年では、静岡の地酒が注目されるようになったのに伴い、鑑評会でもこのような食中酒にできるお酒が高く評価されるようになりました。日本酒の評価基準を変えていったのは、「静岡酵母」を使った静岡の地酒といってもいいのかもしれません。
「静岡酵母」を使った静岡の地酒は、今ではどこの蔵元のものもおいしいと高い評価を受けています。どこもおいしい。その中でより自分の好きなお酒を探すというのが、今の静岡の地酒の愉しみになっています。
“吟醸王国・静岡”の礎を築いた、静岡最古の蔵元「初亀醸造」。
現存する蔵元で31番目、静岡では最古の蔵元である「初亀醸造」の代表取締役社長・橋本謹嗣さんにお話を伺いました。
「初亀醸造」は、江戸時代初期の1636年(寛永13年)、「足名屋」の屋号で創業しました。創業当初は、駿府城からほど近い場所(現在の静岡市葵区中町)で酒造りを行っていましたが、1876年(明治9年)に藤枝市岡部町に第2醸造所を創業し、後にこの岡部町に一本化。今に至ります。
全国的にも早くから吟醸酒造りをスタート。1967年(昭和42年)には、3つの鑑評会で第1位を獲得。そして、1977年(昭和52年)、“日本でもっとも高額な日本酒”として小売価格1万円のお酒の市販を開始しています。口当たりは絹のように柔らかく、複雑な香味が見事にまとまった品格のある日本酒でした。今でも「初亀醸造」のお酒は、鑑評会で評価が高く、トップ中のトップの賞を受賞し続けています。「静岡のヒト・食文化との調和」をコンセプトに掲げ、蔵内の地下約50mの井戸から汲み上げられる清冽な南アルプスの伏流水を生かした酒造りを行っています。
静岡県オリジナル酒造好適米「誉富士」など、酒米づくりにも力を入れる。
使用するお米作りにも手は抜きません。お米は日本酒専用の“酒米(さかまい)”と呼ばれるお米を使用し、地元・岡部の田んぼで米作りをしています。
岡部町にはかつて朝比奈城というお城があり、今も朝比奈という名前の地区があります。ここで、7、8軒ほどの農家さんに協力してもらい、酒米造りを行っています。このエリアには、今も朝比奈さんという名前の方が多いそうで、今回、お話をうかがった農家さんもまさに朝比奈さんというお名前の方です。
静岡県のオリジナル酒造好適米「誉富士(ほまれふじ)」をはじめ、「山田錦」の一部をこちらで生産。今はまだ「山田錦」は兵庫県産を使用していますが、将来的には、全部朝比奈産で酒造りができればと考えているとのこと。近年では、「初亀醸造」でも田んぼを持ち、蔵人たちもお米作りに携わっています。
良いお米ができる場所というのは、昼と夜の温度差が10度以上あるところ。平地の場合はそれがなかなか難しいのですが、この朝比奈地区は、山に囲まれているため、寒暖差ができ、良いお米ができるそうです。ちなみに酒米はコシヒカリなどの食事用のお米に比べると、稲の背丈が高いのが特徴。
静岡県のオリジナル酒造好適米「誉富士」は、より良いお米にするために、日々研究がされており、 最近では「令和誉富士」という新しい品種も登場しています。
実は、この朝比奈地区で酒米を作るようになったのは、2007年(平成19年)頃のこと。一般的な食用のお米を作っていましたが、当時の岡部町長の尽力もあって、酒米作りがスタートしました。
年によっては、出来もよくなかったり、品種が安定しなかったりと、農家さんも苦労が多い様子。おいしい日本酒を造るために。その思いは、農家さんも同じで、「初亀醸造」と一緒に対話しながら、そして一緒に農作業をしながらお米を作っています。
昔と変わらない方法と、現代の技術を組み合わせた酒造り。
日本酒造りは、まずはお米を洗うことから始まります。お米は水に触れた瞬間から吸水が始まります。その加減を誤ってしまうと、それ以降の工程の蒸しの時間や、水分量に影響してしまうため、「酒造りは洗いではじまる」と言われるほど、とても気を使う工程の一つです。蔵元によってはとぎ汁が白い状態で使用しているところもありますが、「初亀醸造」ではとぎ汁が透明になる状態まで洗うそうです。また、用意したお米の量に対し、吸水させた後のお米の重さをきっちりと計測しています。データもとても大事にしているのです。
お米の吸水のあと、蒸し、麹室 へと移します。「初亀醸造」の場合は、こうじ菌の使用量が少ないのが特徴。量が少なくてもしっかり働く強いこうじ菌を使い、酒粕をたくさん出す形でお米を贅沢に使用しています。なお、室内の湿度、温度調整には非常に気を使っているとのこと。岡部町内は乾燥しやすい地域なので、特に湿度調整には工夫が必要だそうです
蔵内には、分析室と呼ばれる場所も。ここはまさに科学実験室のような空間。お酒の分析と、酵母の培養を行っている場所です。アルコール度数やアミノ酸・酸の量を分析する機械により、お酒を造っている間は毎日分析がかけられ、発酵の具合、問題なく酵母が育っているかなどのデータをとっています。このあたりは現代の科学技術を使った部分。多くの蔵元ではこのような分析室を持ち、データをとりながら酒造りが行われています。
「初亀醸造」で使っている水は、地下50mからの井戸水で、適度なミネラルを含む南アルプスからの伏流水。水が潤沢にあるということはとても重要なこと。同じ岡部エリアでも、地下水があるところは限られており、この場所だからできたというのもあったようです。
工程に合わせて、とてもたくさんのスペースを使用する日本酒造り。蔵を見学させていただくと、手間ひまがかけられていること、そして蔵元、杜氏たちの苦労がとても伝わってきました。
常に現代のニーズに合わせた、よりおいしいお酒造りを行っている「初亀醸造」。今もなお、新しいタイプのお酒を開発中とのことで、今後の展開が楽しみですね。
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初亀醸造
[住所]静岡県藤枝市岡部町岡部744
[TEL]054-667-2222
[URL]
https://www.hatsukame.jp
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東海道五十三次の間宿の古い町並みとともに、蕎麦と日本酒を味わう。
「初亀醸造」は、東海道五十三次の21番目の宿場・岡部宿のすぐ前にありますが、その岡部宿の一つ手前の20番目の宿場・丸子宿との間に難所・宇津ノ谷峠があります。峠を越えるためのここは間宿(あいのしゅく)として当時は茶屋が立ち並んでいたところ。現在では、古い町並みや明治時代の貴重な遺産「明治のトンネル」など、レトロな雰囲気が人気の観光地になっています。
その宇津ノ谷に、「初亀醸造」のお酒と一緒に食事が楽しめる「蕎麦処きしがみ」があります。2000年にオープンしたお店ですが、静岡の安倍奥にある木を使った古民家風の家。京都の二条城の厨房を模したという天井の張りの組み方は見応えがあります。窓の外には山あいの静かな集落の様子を眺めることができ、非日常的な雰囲気が人気のお店です。
まずは「蕎麦前」として、「初亀醸造」のお酒と「ニシンの煮付け」をいただきながら蕎麦を待ちましょう。ニシンの煮付けは、ごく弱火で火をかけ、冷ましを繰り返し、1週間かけて仕上げていく手間ひまかかった一品料理です。ほんのりピリっとしつつ、甘じょっぱい味付けで、お酒が進みます。
続いて、メインの蕎麦を。写真は「せいろ」ですが、ほかに「つけとろ蕎麦」「おろし蕎麦」「マイタケ天おろし」「鴨せいろ」など11種類の蕎麦メニューがあります。蕎麦は、細打ちの手打ち蕎麦で、小麦粉などのつなぎを使わない十割蕎麦。つゆには、無添加醤油、本枯れ節、昆布を、かえしには砂糖ではなく蜂蜜を使用し、厳選した素材で丁寧につくっています。
蕎麦の茹で時間は15秒きっかり、1人前ずつ茹でていくので、テーブルの上に置かれたら、ぜひすぐいただくことをおすすめします。蕎麦をいただくと、蕎麦の香りがふわっと立ち、それでいてつゆが蕎麦の味を邪魔しません。蕎麦の挽き方、太さ、茹で時間、すべてが計算されていて、バランス良く仕上がっているのです。間にいただく「初亀醸造」がまた最高です。食事を邪魔せず、それでいて日本酒ならではの味わいを堪能できます。
「きしがみ」の蕎麦がおいしいのは、「初亀醸造」同様、湧水を使用しているからだそう。水がおいしいから、蕎麦もお酒もおいしいのです。
お店はJR静岡駅からバスで35分ほどかかりますが、蕎麦とお酒を愉しみにわざわざバスで訪れる方も多いようです。ぜひ、訪れてみてはいかがでしょう。
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蕎麦処きしがみ
[住所]静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷232-2
[TEL]054-258-5664
[URL]
https://www.kisigami.com
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