ららら紀行

0012
特別寄稿 水窪の柚餅子と雑穀の食を訪ねて
#柚餅子  #水窪  
ふじのくに地球環境史ミュージアム館長 佐藤洋一郎

もはや旧聞に属する話ではあるが昨年、深まる秋の中での水窪(みさくぼ)への小さな旅のことを書いてみたい。ここは、かつて民俗学の泰斗野本寛一が県立高校の教師であった若いころに情熱を傾けて調査に歩いた土地である。静岡県の西・北の端、長野県や愛知県と境を接する山深い土地である。街を貫く国道125号線をさらに北上すると、やがて青崩峠に達する。この先は長野県である。深い山中の街ではあるが、愛知県豊橋を起点とするJR飯田線の線路が通る。行政区としては1925年に旧奥山村が町に昇格して周智郡水窪町になったときにはじまる。2005年からは、浜松市に編入され天竜区水窪町となった。



水窪に行ったのは、地頭方地区にある「つぶ食いしもと」という店で開かれた「とろろ汁食べ比べ」という会に呼んでもらったことによる。会を企画したのは県立農林環境専門職大学の前田節子教授。研究室の学生さんらとともに、県下各地のとろろ汁の出汁や味つけを調べ、さらに実際に作ってもらって食べ比べをするという実に興味深い催しである。出汁を何でとるか、味つけは味噌か醤油かなどバリエーションは豊かで、出汁と調味料の組み合わせにより実に多様なとろろ汁ができるのだという。



とろろ汁は静岡県の郷土料理の一つで、もちろん興味があった。だが、それ以上に関心を寄せているのは「柚餅子」という食べ物であった。広辞苑でひくと、「米粉、小麦粉、砂糖、味噌、胡桃などを混ぜ、柚子の果汁や皮を加えて、こねて蒸した菓子」とある。けれど、私が目的とするのは菓子の柚餅子ではない。「柚釜の中へ米の粉を主材とする詰物をして,切りとった頭部でふたをする。これをわらなどで縛ってよく蒸し,蒸し上げたものを日干しにする。中の詰物はうるち米,もち米(中略)、クルミやカヤの実の刻んだもの,ゴマなどを加えて,みそやしょうゆでこね」たもの(世界大百科全書)のほうだ。類似のものは各地にあり、中には味噌に代わって煮大豆に塩を加えて自然発酵させた「味噌玉」を使うところもある。

柚餅子は、糖質とタンパク質ばかりか、ダイズに加えクルミやゴマを加えることで脂質にも富み、しかも柚子の皮にはビタミンが含まれる。完全食品に近いうえ、携行性、保存性にも富むわけだから、戦国時代には兵糧として発展をみたようだ。水窪は、信州と三河、遠州を結ぶ交通の要衝であり、国道125号線は塩を信州に運ぶ「塩の道」でもあった。塩の道の歴史は古く、すでに縄文時代から人の行き来の痕跡がみられる。戦国時代には信玄が家康を攻めた際の行軍の道でもあった。またこの道は秋葉街道としても知られ、信州から秋葉山に通う人びとの街道でもあった。柚餅子が、ここを旅した人びとの生命と健康を支える重要な役割を果たしていた可能性は十分にある。



「つぶ食いしもと」の石本静子さんが、柚餅子の作り方を語ってくれた。聞けば、同じ集落に今でも柚餅子を作る方がおられるようだ。頼んで柚餅子を送ってもらった。送られてきたのは、直径数センチ、炭のように真っ黒な色をしたやや扁平な塊で、おさえてみるとわずかに弾力がある。個包装されたビニールの袋を開けた瞬間、あまいユズ特有の香りがした。半分に切ってみる。中心まで黒いが、クルミの実が入っていてそこだけが白っぽい。薄く切って口に含むと適度な塩味と強いうまみが感じられた。酒の肴に格好とみた。そういえば静岡市内の料理屋で、鰆の塩焼きに添えられているのをみたことがある。

塩の道の上で、ダイズを使う点から柚餅子と通底する食品が豆味噌と浜納豆(あるいは浜名納豆)である。豆味噌は今では愛知、岐阜、三重に残る、ほとんどダイズと塩だけで作られる味噌で、熟成期間は長いがその分日持ちもする。発酵は、豆麹菌が使われる。浜納豆は、豆味噌の豆をつぶさず粒のまま発酵、保存させた食品で、これらもまた武家とのかかわりが深い食品で、やはり兵糧として重宝されていたとも考えられる。



水窪の食で、もうひとつ大事だったものに雑穀があげられる。雑穀とはイネ科植物の種子のことで、米もまたそのひとつである。夏に栽培される雑穀には、米のほか東アジア起源のアワ、キビ、ヒエなどが、そしてアフリカ起源のテフ、ソルガム、トウジンビエ、シコクビエなどがある。原産地を出て数千年の時を経て日本にやってきたのは2000年近くも前のことだろうか。どれもイネ科植物の種子を利用したものだが、米以外の雑穀は肥料をたくさんやっても収量が伸びない。水田も少なく、十分な肥料をやる農業が発達してこなかった水窪では、命をつなぐ穀類としては雑穀に頼るしかなかった。

これまで、雑穀の農業は遅れた農業、雑穀の食は遅れた土地の食と考えられてきた。けれど、最近、少し世の中の動きが変わりつつある。「周回遅れの一等賞」よろしく、雑穀の農業と食が再評価されようとしている。いまはやりの美食とは対極の、しかし、環境に配慮した持続可能な食と農業がそこにあるといってよい。

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農家レストラン つぶ食 いしもと
静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方389
TEL:053-987-3802
JR浜松駅から車で約1時間半
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関連情報
ふじのくに食の都情報センター「柚餅子」
https://fujinokuni.shokunomiyako-shizuoka.pref.shizuoka.jp/culture/article/1879

山と茶
「守られ続けてきた土地の味わい 小さな粒に込められた先人の想い 雑穀の里でいただくつぶ食というご馳走」
https://yama-to-cha.com/farm/e007/
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